エゴイスト 〜リョーマside〜 「ご飯の用意してくるから」 先輩の家に来て、そのまま部屋に案内されて… その言葉で、やっと今が夜なのだと気付いた。 長い間ボーとしていたらしい。 ―― ご飯の用意? 俺が怪訝そうに見詰めた所為か、不二先輩はにっこりと微笑んだ。 「今夜は、母さんも姉さんも居ないから…二人きりなんだ」 「…あ、そういうことッスか…」 多分、いや絶対、数時間前までの俺だったら、逃げ出してる。 不二先輩の家で…それも二人きりで一晩過ごすなんて、危険すぎるから。 今は…不思議と恐怖もなく、自然なままで居られるが。 「ゆっくりしてて。雑誌とか読んでてもいいから」 そう言い残して、不二先輩は階下へと降りて行った。 特に何かする気も起きなくて、ただ床に座っていた。 …その時、不二先輩の携帯が鳴ったんだ。吃驚して、一瞬声が出なかった。 「…携帯…どうしよ…」 暫く鳴り終えるまで待ったが、相手は諦める様子がない。 仕方が無く代わりにとったのだ。 「…はい?あの…」 誰ですか?そう言う前に、切られた。…悪戯だったのかな? 何だか変な気持ちだった。知ってる人の雰囲気を感じたから。 でもそんな勘を信じても仕方ない。 確実とか、決まりとか…そういう類の言葉は好きじゃないけど、勘っていうのは嫌いだから。 口で言えば何とでもなる「勘」は、俺の一番苦手なものだ。 だから、その変な気持ちは無視した。そのうち、不二先輩も戻ってくるだろうし。 「お待たせ…さ、下においで?」 「うぃーす」 何となく言うタイミングを逃してしまい、そのままリビングへ向かった。 そこで言おうかと思ったが、別の事に気をとられて忘れてしまった。 「って…これ、先輩の手料理ッスか??!」 「うん。あまり自信が無いんだけど…食べてくれるかい?」 「勿論ッス。うわー…美味そう!」 不二先輩は嬉しそうに微笑むと、「どうぞ」と言って椅子を引いてくれた。 そんな些細な気遣いに、少し気恥ずかしい思いが込み上げる。 俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、不二先輩はもう一度「どうぞ?」と言った。 好意を無駄に出来るはずもなく、俺はその椅子に座った。 「じゃ、乾杯」 「…??これ…?」 「ワインだよ」 「?!いいんすか?勝手に空けちゃって…」 「いいんだよ、そんなに高いやつじゃないし。少しなら飲めるでしょ?」 俺は言葉に詰まった。…親父はお酒大好きなやつだし、俺に飲ませようとする。 …が、俺の家にはそれを阻止する人が居る。 従姉の菜々子さんだ。だから、日本に来てから酒を飲んだ事は今まで一度だってない。 アメリカに居た頃も同じだ。母さんもそれに関しては厳しい人だから、アメリカでも飲ませてもらえなかった。 …ワイン?アルコール度数って、どれぐらいだっけ… 「どうしたの?ほら、乾杯♪」 俺を試すような表情で見てくる先輩に、俺は何も言えず、一気に飲み干した。 …意外と、飲める? 「ふふ、豪快なのはいいけど、酔わない内にご飯を食べようね」 「………うん」 すでに頭がくらくらするのを隠して、料理を食べ始めた。 とても中学生が作ったとは思えないほど…それは見た目も美しく、味もそれに見合ったものだった。 「美味いッス…」 「良かった。不味いって言われたら、出前でも頼もうかと思ってたんだ」 そんな事したら、その店が可哀想だよ。 絶対に先輩の手料理が美味しいもん。和食だって中華だって、先輩の料理には敵わない。 ………俺の舌が正しければ、の話だけど。 「…越前君?大丈夫??」 「え…?何がー…」 「…ダメみたいだね。御免ね、君がそんなにお酒に弱いと思わなくて…」 意識が、途切れ途切れだった。 ふんわりとした感覚が、心地良い。…今なら、何でも話せそうな気がする。 「…不二先輩ぃ、本当は、誰が好きなの…?」 「…僕の口から言わせたいわけ?」 「ん〜…だって先輩に好きって言われてないもん…」 「そうだね。僕は…『好き』と言い切れる人は居ない。でもね…」 不二先輩が、席を立った。 目がくらくらしてるけど、俺のすぐ側まで近寄って来たのだけは理解出来た。 「君の事は…壊したい程、愛しく思ってるよ…」 「…そうなの…?」 酔ってる所為だけど、先輩の言葉がよく脳に伝わらなくて… ただボンヤリと、告白らしい言葉を聞いた。 「俺もねー…好きな人は居ない、よ」 「………………だよね」 「でも不二先輩は…怖いけど…放って置けない。すっごく、気になる…」 目蓋が重いが、うっすらと瞳を開けて見た。 瞳に映った先輩は、少し涙を溜めたように見えた。そして、すぐに俺を抱きしめた。 「有難う…君にそう言ってもらえるだけで、僕の心の傷は癒える…」 「………うん、こんな言葉で良かったら、いくらでも言うよ………」 抱きしめられて、少し苦しかった。 けど、それ以上に温かく、居心地が良かったんだ。 【冷たい】 【怖い】 【近寄りたくない】 そんな気持ちが支配していた先輩なのに、今は誰よりも側に居てほしいと願った。 「酔っている越前君に、こんな事したら卑怯だろうけど……」 「??………んんぅ」 先輩は言葉を切ると、俺の唇に何かを押し当てた。 ………紛れも無く、不二先輩の唇。 「ん…っく…はぁ…んぅ…」 息の乱れる音だけが、リビングに響いた。 あー…そういえば、初めて不二先輩と帰った日の翌日も、こんな感じだったっけ。 あの時の先輩は、少し不気味だったし、キスだって何の感情もこもってなかった。 でも…今のキスは。 「御免ね…」 そう呟きながらキスをする先輩は、以前より気持ちがあると思った。 以前は何も感じられない、とても寂しいキスだった。 今は、もう少しの間、こうしてたい…と思える。 「………うぅん…」 「…眠い?」 「うん…」 やっと唇を解放されると、凄く睡魔が襲ってきた。 自分がどれだけ酔ってるのかは判らないが、そろそろヤバイ状態らしい。 「お風呂、入ろうか?そのまま寝るわけにもいかないし…」 「…うん…」 あぁ、ダメだ。もう目が閉じて、開く事が出来ない。 情け無いなぁ…折角、不二先輩の本音とか聞けそうだったのに。 ――― 残念……… 最後に思ったのは、それだった。意識を手放し、俺はガクッと体が崩れるのが判った。 …それでも痛みを感じなかったのは、きっと先輩が抱きとめてくれたから。 しかしその時の先輩の表情が、悲しみに刻まれていた事など… 今の俺には知る由もなかった。 |